シンガポールのEV船開発:「ピクシス・マリタイム社」の挑戦

目次

はじめに

シンガポールでは2030年から、新規登録する全ての乗用車とタクシーについて電気自動車(EV)やハイブリッド車、水素燃料車を含む環境に優しい車とすることが義務付けられるという。政府の積極的な支援を背景に、EV周りの研究開発(R&D)や実証プラントでの製造・販売から、使用済みバッテリーのリサイクルまで、EV普及を支えるエコシステムの整備が進んでいる。この話は自動車に限った話ではない。

近年、大量の温室効果ガスを排出する船のハイブリッド化、電気船(EV船)化も進んでおり、地球温暖化を食い止める切り札として注目されている。今回は、イノベーションエコシステムが成熟しているシンガポールのEV開発状況及びEV船の開発で注目を集めるピクシス(Pyxis Maritime)社の事例について紹介する。

シンガポールのEVエコシステム事情

シンガポールは、行政のデジタル化が進み、アジアで随一のスタートアップエコシステムを有するイノベーション大国である。もともと研究開発を行いやすい環境に後押しされ、EV開発が急速に進行している。

韓国OEMの現代自動車は、EVを中心とした次世代モビリティのR&Dからパイロット製造、販売までを行う複合施設である「現代自動車イノベーション・シンガポール(HMGICS)」を2024年6月に一般向けにオープン。ここで製造・販売されているシンガポール発の国産EV車「アイオニック5(IONIQ5)」は、今後、海外拠点でも取り扱われる予定で、近い将来、シンガポール産EV車を見かける機会が増えるだろう。

また、シンガポール政府は、2021年2月発表の環境行動計画「シンガポール・グリーンプラン2030」で、2040年までにガソリンやディーゼル燃料の内燃機関車(ICE)を段階的に廃止するとの目標を発表した。これを受け、都市再開発庁(URA)と陸運庁(LTA)は、EVの普及を支えるインフラとして、公団住宅の駐車場向けのEV充電スタンドの大型入札を実施した。さらに、民間コンドミニアムでの充電スタンド設置に関する補助金「EV共通充電器補助金(ECCG)」が導入され、2024年7月時点で約7,100カ所の充電器が設置されている。

グリーンプランでは、2030年までに充電器の設置場所を6万カ所まで増やす計画で、EV車を日常的に利用しやすい環境が整備される見込みだ。消費者向けのEV購入のインセンティブでは、「EV早期採用インセンティブ(EEAI)」と「乗用車排出スキーム(VES)強化版」がある。EEAIはEVの追加登録料(ARF)の45%(上限額は1万5,000シンガポールドル)を払い戻す制度、VES強化版はARFから最大2万5,000シンガポールドルを払い戻す制度で、これらを組み合わせることでEVの購入代金から最大4万シンガポールドルが差し引かれる。これらのインセンティブにより、新規登録者の約1/3はEV車となっている。中国の比亜迪(BYD)、BMW、テスラを筆頭にEV車の売行きの伸びが顕著で、特にBYDは、2024年1〜5月のみの新規登録台数で前年の年間台数の2倍以上を記録しており、驚異的な伸びを見せている。

並行して、EV普及に欠かせないバッテリーリサイクルの仕組みづくりも進んでいる。地場リサイクル会社KGSは、2023年10月、EVの使用済みバッテリーを含むリチウム電池のリサイクルプラントを開設した。これにより、シンガポールでは3カ所目のリチウム電池のリサイクルプラントが稼働することとなり、シンガポールのリチウム電池のリサイクル能力は年間1万1,000トンに向上した。リチウム電池のリサイクル能力が拡大することで、EVの使用済みバッテリーに関するR&Dやイノベーションの機会が増え、自動車の電化と並行して製品のライフサイクルを構築する包括的な事業推進サポート体制が整いつつある。

自動車の次は船!?船舶の電化

従来の船は、他のモビリティと比較して、環境汚染の原因となる物質を多く排出するため、EV船の必要性は以前から存在していた。世界中に約90,000隻の船舶があり、約2,000万Mt(トン)の二酸化硫黄を生産し、年間約370Mtの燃料を消費している。また、ほとんどのガス船、石油タンカー、クルーズ船、一般貨物船、コンテナ船は運航に重油を使用しており、温室効果ガス以外の環境汚染のリスクも高く、EV船の必要性は明らかである。燃料を電気に代替することで、温室効果ガスの排出量を削減し、環境汚染リスクを低減できる。これにより、環境負荷の少ないグリーンな輸送が実現する。しかし、EV船は、海上で電気トラブルが発生した場合の人的リスクなどを考慮する必要があり、導入には慎重な姿勢が求められる。そのため、開発や実証実験は慎重に進められている。

EV船の主要市場は、ノルウェーが最も大きなシェアを占めており、フィンランド、オランダ、中国、デンマーク、スウェーデンなど、再生可能エネルギーの導入やグリーンな社会への取り組みが先進的な国々が後に続く。現在、アジア圏は後塵を拝している状況だが、国際海事機関(IMO)によると、貨物船やタンカー船などの大型商船を含む世界の船舶生産量の90%以上を中国、日本、韓国が占めている。世界的な硫黄分規制の強化や大型船舶の電動化を推進するためには、アジア圏(特に中国や日本)の取り組みが重要となる。

EV船で脱炭素化を進めるピクシス・マリタイム(Pyxis Maritime)社

アジア圏の取組が期待される中、2024年3月にシンガポールの海運系スタートアップ、ピクシス・マリタイム(Pyxis Maritime)は環境に優しい電気推進船(EV船)「Xトロン」を開発したことを発表。ピクシス・マリタイム社は、シンガポールに拠点を構える2022年創業の企業である。

今回開発された「Xトロン」は、定員12人と船員2人の計14人乗りの小型EV船で、ピクシス社のEV船シリーズ「ピクシス・ワン」の第1号船である。アルミニウム製の双胴船で、船舶IoT(モノのインターネット)システムを搭載しており、シンガポール港湾に停泊中の船舶と本土との間で船員を運ぶために設計されている。既存のディーゼル船と比較して、運航時の1時間当たりの二酸化炭素(CO2)排出量を最大120kg削減できるという優れものだ。

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